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OBたちの現在 ~第4回~木全亮介君

OBたちの現在を追う、第4回は、木全亮介君の登場です。
大豆戸ジュニアから、大豆戸FCJY一期生として進級。 その進級には、今だから明かせるstoryがあったようです。
現在、進級を迷う6年生、中学3年生にはぜひ読んでほしい内容です。

 

木全君の経歴をまず紹介したいと思います。
1993年4月5日生まれ。
大綱小学校→大綱中学校→桜美林高等学校→立教大学→神戸大学大学院
大豆戸歴は 大豆戸FCジュニア→大豆戸FCジュニアユース です。

 

【末本】
現在は何をしているのかな?

 

【木全】
現在は、神戸大学理学研究科数学専攻の大学院2年生です。
また、学生をしながら、東大ベンチャーの株式会社POLで働いています。
先日、就職活動を終えまして、来春から株式会社日本経営で経営コンサルタントとして働くことになりました。

 

【末本】
おめでとうございます。
それでは、大豆戸FCでの想い出やその後についてお話してもらいたいのですが、まずは想い出、記憶に残るベスト3を教えてください。

 

【木全】
ベスト3の順位付けが難しいところですが…

<第3位>
ジュニアユースに入りたいことを親にめちゃめちゃ頼み込んだこと、ですね。
今までの人生振り返ってもここまで親に頼み込んだことはなかったと思います。笑
中学の部活という選択肢もある中で、10倍以上はお金のかかるクラブチームに進むことには、当時反対された記憶があります。 」

 

【末本】
そうだね、まだ当時は大豆戸FCJYは設立一年目の一期生としての募集。
クラブチームは現在と違って数も多くなかったし、クラブを選ぶという決断は簡単ではなかったよね。

 

【木全】
けれど、自分としては、もっとうまくなりたい、サッカーをもっと大豆戸でやりたいという思いが強く、来る日も来る日も母にお願いしてました。
最終的には、そこまで言うなら頑張りなさいということで、ジュニアユースに進級することになりました。
うっすらと土下座までしたような記憶があります。(笑)
大豆戸でサッカーさせてくれた両親には本当に感謝しかないですし、この選択は間違いなかったなって思います。
大豆戸でのサッカーを通して、めちゃめちゃサッカーが好きになりました。

<第2位>
高円宮杯決勝トーナメント2回戦  vs東急レイエス 僕らの代の最後の試合です。
1期生でしたが、ベスト32まで進み、0-2で敗れました。
この試合は、各メンバーがそれぞれいろんなことを感じたゲームだったのではないかと思います。
僕の場合は、不甲斐なさと悔しさとこれで終ってしまったんだという悲しさとまぁいろんなことを感じました。
特に感じたのは、不甲斐なさです。

この試合、右サイドバックで出場したのですが、マッチアップは大豆戸ジュニアで同期の神庭勇人くんでした。
彼は小学校も中学校も一緒で、大豆戸ジュニアでは彼はAチームでもエース、僕はBチームという感じで同年齢なんだけど、少し憧れ的な目線で見てる選手でした。
そんな彼とのマッチアップ、大豆戸で成長して、どれだけ彼に通用するのか、ワクワクとドキドキで試合に臨みました。
彼とのマッチアップの結果としては、守ればぶち抜かれ、攻めればシャットアウトされと完敗に終わりました。
僕は、前半の半分も経過していないくらいのところで交代しました。実はその後また後半に出場したのですが、そこでもダメダメで本当に何もできずに終わってしまいました。

試合終了後はいろんなことを考えました。
もっと自主練とか頑張れたんじゃないかとか、もっと努力すれば通用したんじゃないかなど、ヘタレで甘い自分に怒りも沸いてきました。
しかし、過ごした時間はもう戻らない…。

 

【末本】
スタメンでの出場、試合の流れもあって途中交代、そして後半での再出場はコーチに明確な狙いがあって行ったのだけど、その想いがしっかり伝わって、そこでの体験がその先に繋がっていることを聞いて、こちらも感慨深いです。

外から見ているだけではわからない、実際に悔しい体験をすることが今後の成長に繋がる。
コーチがキマを信じないで試合に出さないで、このように考えるきっかけを失っていたとしたらゾっとするよ(笑)

 

【木全】
その日を境に、不甲斐ない自分でいるのは嫌だと強く思うようになりました。
あの経験が今になってすごく活きていて、「ここやりきらなかったら絶対後悔する!」って考えるようになりました。

とにかく一歩踏み込んでみるという力は日々向上していると思います。
まだまだ、ビビりが顔を出して、逃げ出したくなるときもありますが、そこに負けずに踏み込んでいくことがだんだんとできるようになってきました。

<第1位>
高円宮杯で決勝トーナメント出場を決めた試合 vsアルゼンチンFC
やっぱり1位はこれだなって感じです!
あの瞬間は文句なく人生で一番泣いて笑って喜んだ日でした。
あの試合は大人になってから振り返るとめちゃめちゃ学びの深い試合だったと思います。

大豆戸が決勝トーナメントに行くには、3点差以上の勝利が必要でした。
しかし、前半0-2。後半で5点取るという割と厳しい状況だったにもかかわらず、みんな5点取れるって確信していました。
僕も全然やれるなって思ってたし、目標の関東に行くのに後半5点取らなきゃいけないね!くらいにしか考えてなかったような気がします。

後半5点取って、勝利することができたのは、みんなが関東大会出場を心から求めていたからだと思います。
そこに向かうために必要のないことなんて、誰も考えてなかったともいます(後半5点って厳しいな~とか)。

よっしゃ!5点行くぞって空気でしたし、末本コーチ、佐久間コーチも「何の問題もない、絶対できる」ってめちゃめちゃ僕らを励ましてくれたと思います。

奇跡が起きる瞬間っていうのは、あの空気感なんだなと今になって思います。
試合終了の瞬間のみんなで喜び合ったのは、本当に最高の瞬間でした。忘れられない瞬間でした。

試合後の流星家でのBBQもめちゃめちゃ楽しかったですね。とにかく最高でした!

 

【末本】
コーチたちにとっても記憶に残る、伝説的な試合の一つ。
それはこれまで過ごした過程を踏まえたら、奇跡というより必然的だったと思っています。

親に頼み込んで進級した、ジュニアユースでの3年間はとても濃密な時間だったんだね。
印象的なのは、勝って得た素晴らしい思い出だけでなく、負けた時に得た悔しい想いを次に繋げていっている点だね。

では 大豆戸FCで学んだこと、今つながっていること はありますか?

 

【木全】
大きくあげると2つあります。
それは、
@自分には特に才能とか、特別なものとかないなってこと
Aチームは足し算じゃなくて掛け算 です。

@を文面だけ見ると、なんか小さくなってしまってないかと思われるかもしれないですが、全然そんなことはないです。
なぜなら、そんなとこで言い訳しててもしょうがないからです。

当時は「もっと足が速かったらな」とか「もっと器用にボールが扱えたらな」とか考えるときもありましたが、途中からそんなの考えてもしょうがないなって思いました。

大事なのは、「で、お前はどうすんの?」ってこと。
自分が試合に出て、活躍して、チームを勝利に導くために、自分はどうするかってことを考えました。
当時の自分の答えとしては、「ひたすら右足のロングパスを極める」でした。

唯一得意なプレーがロングパスだったんです。ここだけは誰よりもうまくなって、自分のロングパスで攻撃を組み立てるんだって考えました。

 

【末本】
まさに、キマの特長は、正確なロングボールを前線に配球できる、高さを活かして空中戦で勝てるということ。
その強みをチームの中でいかに相乗効果を生み出すか?

ヒトの強みを活かして、それを組み合わせること、を考えていました。

 

【木全】
自分なりにチームに貢献するための成長を考えたのはとても効果的だったと思ってます。

当時、ポジションを争ってた1つ下の後輩の流星は僕よりも全然うまかったし、速かったし、強かったと思います。
けれど、ロングパスだけは勝っていたと思いますし、そういった部分を評価してもらえていたのではないかなと思ってます。
この学びがあったからこそ、今でも客観的かつ冷静に自分を見つめ、自分が本当に求める目標に対して、

「お前はどうすんの?」という問いを自分に立て、自分がやらねばならないことやリスクはあっても踏み込んでいかなければならないことをしっかり認知できるようになったと思います。

Aは僕らのチーム構成と結果を見てもらえればおのずと分かってもらえる部分かなと思います。
当時3年生は10人しかいませんでしたし、トレセンに選ばれている選手もいませんでした。

※当時は1期生は9人、2期生13人。結成間もなかったため、当時のレギュラークラスの選手は部活や他クラブを選択。

そんなチームが勝ちあがっていけた一番大きな要因は、もちろん個々の力も全然通用していましたが、「チームになったとき強い」ってことだと思います。つまり、掛け算です。
個々の良さを最大限に引き出しながら、個々の欠けている部分はみんなで埋めあっていく、そんなチームだからこそ、強豪相手にも互角の戦いができるレベルまで成長することができたのではないかと思います。
ここからの学びは、「目標を達成するのに、自分ひとりだけでやりきる必要はなく、仲間の力を借りて、みんなで達成すればよい」ということです。

人それぞれ、得意のことと苦手なことがあります。
それをしっかり認知して、苦手な部分は最大限努力しつつ得意な人に力を借りればいいし、得意な部分では自分からどんどん仲間を助けたり、先頭に立ったりすればいいなって思います。
重要なのは、結果として何を達成したかのみだと思います。
真の目標達成のために「みんなで」頑張ればいいんだと、僕は思います。

こうやって振り返ると、大豆戸のサッカーから学んだことは、本当に人生においても本質的だなって感じます。
通わせてくれていた両親にますます感謝ですし、こういったことに気付かせてくれたコーチや仲間には本当に感謝でいっぱいです。

 

【末本】
ないものではなく、あるものに目を向ける。
人の欠点ではなく、長所に目を向けて、それを組み合わせていくチーム作り。

JYで体験して、成功体験は彼の将来に大きく繋がっていったように思います。
思うのは、そこに大人の据える 大会の規模を関係ないということです。
1つの勝利、敗戦から 彼らは学ぶことができるのです。

 

最後に現在の仕事で、やり甲斐を感じていること を教えてください。

 

【木全】
学生としてのやりがいは、ひたすら興味にしたがって研究できることですね。
あれこれ考えながら、ハッと気づいて分かったときの快感は何事にも代えがたいですね。
そういった点で言うと、僕はサッカーのこともあれこれ考えるのが好きだったので、今の研究の部分にもつながっているかもしれないですね。

インターン先のPOLでは、POLのサービスが「理系学生向けのスカウトサービス」ということもあって、関西の大学の研究室を飛び込みで訪問して、サービスの価値を伝えて、登録していただくといった仕事を主にしています。
わりとしんどい仕事ではありますが、原動力となるのは、「理系院生の研究環境や就職活動をもっと良くしたい」という思いですね。
この会社のやってることは絶対に社会をよくするという確信があるので、僕はそのサービスをひたすら世に広めていきたいですね。
また、会社の雰囲気もとても良くて、たたえ合う文化があるので、それも自分の中で大きなエンジンになってます。

現在の仕事ではないですが、内定先の話です。
僕は株式会社日本経営という会社に入社することを決めたのですが、その理由は自分が成し遂げたいビジョンがあったからです。
詳細は省きますが、僕は「日本の医療の永続的な成長」を実現するために日本経営に入社することを決めました。

今は、それができる人間になるための修行中です。まだ入ってないですが、今からもうすでにやりがいを感じています。

 

【末本】
JYに進級したいという当時の強い想いが、その先に繋がったように、ここでも「何かを成し遂げたい」という強い想いがあったんですね。

最後に現役の選手へのメッセージ をください。

 

【木全】
まずは大豆戸というステージで自分が何を目指すのかを明確にしてほしいです。
そして、その目標の達成のために一点の曇りもなく突き進んでほしいです。目標というのは、なんでもいいんです。

県大会優勝!でもいいですし、ドリブルうまくなる!とか、リフティング100回できるようになる!とかでも全然いいと思います。
目標は何でもいいですし、目標にいいも悪いもないと思います。

しかし、一点だけゆずってはいけない部分があります。
それは、自分が心からそれを達成したいと思っているかということです。

大豆戸の選手たちはみんな一人ひとり素晴らしい個性や人柄を持っているはずです。
その素晴らしいパワーを全開にして、みんなが心から熱くなれる目標に向かってチャレンジしていってほしいです。

 

今日は本当にありがとうございます。

 

インタビュー後記

レギュラーだ、メンバーだ。
やはり現役当時は、そういったことに目が行きがちだが、大事なのはそんなことではないことが木全くんの言葉から理解できる。
むしろ、負けたこと、悔しい想いや難しい環境であればあるほど、考え、工夫することが生まれる。

そして、大人は、指導者は、選手たちにそういった体験がある機会を与え続けることが大切なのだ、ということを
改めて痛感させられます。
そして、最も印象に残ったのは 何より 想い の強さであろう。
彼の奥底にある 想い は当時から変わっていないし、それが今の彼の源である。

想い、ビジョンの大切さ。

これからのキマの活躍に負けぬようクラブも成長しなくてはならない。