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第15回 OBたちの現在 ~山田弥嗣さん

OB達の現在を追う、第15回はJYの3期生の「みつぐ」こと山田弥嗣さんの登場です。

まずは経歴から紹介です。

〜経歴〜

・北綱島小学校(駒林SC)
・日吉台中学校(大豆戸FC JY)
・川和高校(サッカー部)
・神奈川大学人間科学部(体育会サッカー部)
・スミスアンドネフュー株式会社 スポーツメディスン事業部

 

【末本】

今回は、たまたまあおばスカイフィールドで高校OBの社会人チームで練習しているところをキヨコーチと会ったことからこの企画をお願いしました。

早速ですが、懐かしい大豆戸FCの思い出ベスト3をお願いします。

 

【みつぐ】

まず第3位は 高円宮杯神奈川県大会で優勝したことです。

2期生の時に初めて関東大会に出場し、自分達の代(3期)で初めて県大会を優勝する事ができ、歴史の1ページを作れたことが非常に嬉しかったです。

 

【末本】
1期生9人、2期生17人ときて、この学年はセレクションでもたくさんの選手が集まってくれて、その時もインパクトがすごかった学年!

 

【みつぐ】

この代は個が強い選手が何人もいて、勝てない時は「みつぐが決めないから」と何回言われた事か。(半分以上はシムから)
うるせえと思いながらプレーしていましたが、チームとしては非常に仲が良かったので、まとまりは強かったと思います。

 

【末本】
そんなことがあったんだね(笑)FWの宿命!

 

【みつぐ】

第2位は、FWへのコンバートです。
これは非常に大きな転機でした。

実は、経緯やタイミングはあまり覚えていませんが、大豆戸に入りボランチからFWに転向しました。ボランチに自分より良い選手が多かったというのもありますが、あのままボランチでプレーしていたらその他大勢の選手で終わっていたかもしれないと思うぐらい危機感は感じていたので、良い選択を与えて頂きました。

 

【末本】
確かに中盤には良い選手達が揃っていたね、当時から弥嗣はサイズがあったのでFWへのコンバートは必然だったと思うよ。

 

【みつぐ】

3年時で、オフザボールのアクションで相手より優位に立ちタイミングでパスを受け、シュートチャンスを作るプレースタイルを確立できたのは、なんかのタイミングで末さんと同じチームでプレーした時にアドバイスを頂いたからだったとぼんやり記憶しています。(笑)

 

【末本】
もちろん覚えてないけれど(笑)、MFにとってFWの動き出しのタイミングと質は命なので、要求が当然高くなるからそれはよかったよ笑

 

【みつぐ】

スピードがそんなにない自分の生きる道がこの時、見えました。(中村匠吾という名パサーも居たので。)

 

第1位は 2回の韓国遠征です

 

【末本】
そうだ!2回行ったんだね!

 

【みつぐ】

1度目は1年の時(2・3年生に混じって、参加させて頂きました。)で、韓国選手のプレースピードと強度、球際の迫力に圧倒的な差を感じ、「これはだめだ(笑)」と思いました。

 

【末本】
大豆戸初の韓国遠征、参加者に空きが出て、下の学年から韓国でも戦える有望な選手を選ぼうということになり弥嗣に声を掛けさせてもらいました。
ただ、1年時はそう感じて無理もない、相手もKリーグ下部組織のチームだったしね。

 

【みつぐ】

2度目は3年の時で、戦える試合が増え自信を持って帰国できた記憶があります。
何も出来なかった2年前からの成長を自ら感じられて、シーズン前にいい流れを作ることが出来ました。
韓国選手からは、球際の強度と強い意思を持ってプレーする大事さを感じました。
また、異文化に触れることでこういう考え方・捉え方もあるのかなど、自分達のものさしが一つ大きくなった気がします。

 

【末本】
身近なようで遠い韓国、欧州に行くのも良いけれど、まずは近くの韓国。
サッカー的にも歴史的にも我々と違うことが多々あるので、その多感な年代で韓国にいき、そうやって感じてくれたことは嬉しいです。

思い出を語ってもらったので、最後は現在について教えてください。

 

【みつぐ】

現在について〜

スミスアンドネフュー株式会社という医療機器メーカーの営業で、手術機器とインプラントを販売しています。
関節鏡(内視鏡)手術という膝・肩・足関節などにカメラを挿れて処置する手術のカメラやスクリュー、縫合キットなどのインプラント(身体に残るもの)を売っています。
実際に手術にも立ち会います。
スポーツ外傷がメインなので、ACL(前十字靭帯)再建や半月板縫合、脱臼修復、捻挫などがターゲットで、ACL再建で使うインプラント(身体に残るもの)のシェアは約7割なので、手術したことのある方の10人中7人の体内にうちの製品が入っている計算になります!

やりがいは、Dr.やオペスタッフをサポートする事で、間接的に患者さんの役に立つことができる点です。
また、非常に自由な会社なので、予算と担当エリアと社用車が会社から渡され、あとの計画・裁量は全て個人になります。お客さんがDr.という事も含めて、非常に頭を使う日々ですが、刺激的で自分の成長に必要な環境だと思いながら過ごしています。

 

【末本】
サッカーに繋がりのある仕事をしているんだね、仕事環境もまさに良いチームにいる、という印象を覚えます。サッカーをしてきたことでよかったところを最後に聞かせてもらっていいかな?

 

【みつぐ】

当事者意識をもって他責にしないという点を身に付けられたのは、サッカーをやってきて、大豆戸でサッカーをやってきて良かったなと思う点です。
当時、オフザピッチの重要性をコーチ達から適切なタイミングで教えて頂きました。
試合に負けた時、試合までの準備はどうだったか?前日の準備は今日に繋がるものだったか?意味をもった行動が出来ていたか?と自分に問うことが多くなりました。
結果も受け入れて、自分にベクトルを向けることが日々成長できる近道だと学びました。
自主性も大豆戸から学びました。

自主性を促すタイミングも多く、また、こうしたいといった自主性を尊重して頂けるコーチ陣が揃っているので、中学生時には非常に大切な、自分で考えるという時間を多く与えて頂きました。

これを見ている、大豆戸でサッカーをやらせたいと考えている親御さんがいらっしゃったら100%おすすめします!勿論、子供の意思が大切で、”敷かれた”レールの上では上手くいかない時に子供が言い訳に逃げがちになってしまうという側面もありますが。

私が大豆戸のJYに入ったのは、母親のすすめでした。「大豆戸がJY立ち上げたみたいだよ?面白そうだしいってみたら?」と。

朝5時に起きてWOWOWでリーガを観るような母親なので、一人で大豆戸の試合を視察してきたのかなとも思いましたが、大豆戸に入ってサッカー以外の面でも色々な活動ができ本当によかったと思っているので、母親には感謝しています。
今は、膨大な情報が簡単に手に入り、簡単に知った気にも経験したようにもなれる時代です。
それは悪い事というよりはある意味当たり前の事であって、その環境で育つ現代の子達はそうなりがちだと思います。

ですが、今も昔も変わらず大切なのは、薄い経験や外から入ってくる情報ではなく肌で感じた経験・情報です。
その意味では大豆戸というコミュニティは、私の中では非常に大きな経験で、今もあの時のあの経験は今のこれに繋がっているのか。と思う機会があります。

 

〜取材後記〜

各年代にいる絶対的なエース、まさに弥嗣はそんな存在でした。
ただ、ストライカーにありがちな傲慢さはなく、常に謙虚で学びの姿勢があり、スポンジのように技術や知識を吸収していきました。

あれから13年経って、彼の言葉から出てくる 当事者意識 自主性という言葉が嬉しい。何か壁に当たった時こそ、こちら側に問われることは一方的に何かを伝えたり強制するのではなく、彼らに適切なタイミングで、時間と余白を与えることだと私は考える。

それを自ら乗り越えた時に、大きな力となり自信になる。

また多感な年代に、異国の地でサッカーをした、過ごした時間は今の彼の中に大きく根付いているのではないだろうか。大人はどうしてもその瞬間の損得を考えてしまう、しかし考えてみれば即興性のある、効果的なものはどこまで本物になっているかは疑わしい。

大人が先回りせず、まずやらせてみる やってこい!と構えられる度量が試されているのではないだろうか。

弥嗣、今回はありがとう!