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第14回 OBたちの現在 ~山中 駿之介さん

OB達の現在を追う、第14回は大豆戸FC J Yの2期生の山中駿之介さんの登場です。

まずは、経歴から紹介です。

〜経歴〜

• 横浜市立勝田小学校 (勝田SC)
• 横浜市立茅ヶ崎中学校 (大豆戸FC JY)
• 横浜市立南高校 (サッカー部)
• 成蹊大学 経済学部 (大豆戸FC トップチーム)
• マックス株式会社→MAX EUROPE B.V. (J-dream)

 

【山中】

現在は会社のオランダ支店(MAX EUROPE B.V.)に出向しており、奥さんとオランダで暮らしています。
もちろんオランダでもサッカーを楽しんでいます。サッカーは世界中で愛されているスポーツなので、サッカーをプレーしていたと言うと、どの国でも親しまれます。

 

【末本】
トップチームを退団して就職した後、音信不通だったけどまさかオランダにいるとは!
FOOTBALLは世界の共通言語!
しっかり役立っているんだね!

では、大豆戸F Cに入ろうと思った理由、きっかけと思い出について教えてください。

 

【山中】

大豆戸FCに入ろうと思った理由は、小学校の時から大豆戸FCは強かったので、JYが出来たと聞いて入りたいと思ったからですね。
自分の代が2期生で人数も少なかったので、中学1年生の時から大会に出させてもらって、中学3年生を相手に四苦八苦しながら試合していた事が懐かしいです。

<第3位>
3位は、サッカー以外のイベントです。
野球/マラソン/バスケ/逃走中/相撲など練習ではサッカー以外の事もたくさんやりましたし、合宿では一発芸大会とか山手線ゲームとかカラオケ大会とかやりました。
とても楽しかったのを今でも覚えているので、思い出に残っていますね。

 

【末本】
当時は人数が少ないこともあって、確かに色々なことをしたね。
合宿もたくさん行ったし、その内容も社会に出ても通じる内容をすでに経験していた、とも言えるね(笑)

 

【山中】

コーチ達のチームの作り方として、サッカーだけだと根詰まってしまう事もあるのでサッカー以外の事をやる事でリフレッシュさせようとしていたのかな?とか、サッカー以外の事をやる事で新しい一面を見れるチームメートもいてチーム内で新しいコミュニケーションが生まれるとか、そういった事を意図していたのかなと今では思います。
色んな視点とかコミュニケーション方法があって、サッカーしか見れてないのは融通さに欠けてしまうよ、というメッセージがあると感じていました。

 

【末本】
そんな風に感じてくれて嬉しいな、コーチたちにとっては、サッカーはやはり人生の一部でしかないから、みんなと一緒に過時間を過ごす中で、サッカーがあって、遊びがあって、ボーリング大会があって、BBQがあって、と当時から考えていたんだよ。
そういう時間を過ごす中で、チームメートのピッチの中だけでは見れない一面も知ることができ、信頼関係が構築されていくとも言えるしね。

 

【山中】

<第2位>
2位は、韓国遠征です。
これも3位の部分(色んな視点)に通じるところがあるのかもしれないですが、日本以外の文化に触れるという事を当時14歳の自分が経験できたのは大きな財産になっていると思っています。

 

【末本】
前々回の倭の時にもコメントしたけど、実現するには大変なイベントだったけどこうやって駿も財産になっていると言ってくれて本当に嬉しいよ。

 

【山中】

当然サッカーのプレースタイルも違っていて、全体的に早くてデカくて強いといった身体的な違いを生かしたプレースタイルで、体の小さい自分達はボール/ゴール/敵/味方/スペースをいつも以上に予め見ておかないとボールを失ってしまうところが難しかったですね。

 

【末本】
仁川ユナイテッドと韓国のこの年代最強チームと試合を組んだけど、どちらも強かったよね、鮮烈な印象があってコーチたちも基準を上げなくてはと危機感を持ったよ。

 

【山中】

対応力というか、相手がやってくるサッカーに対して自分達はどうするのか?相手のプレースタイルに流されるのか、自分達のスタイルでやりたいけどいつものようにプレーしたら上手くいかないからどうするのか?逆に相手チームには出来ない自分達の強みは何か?といったような事を考えさせられたような記憶があります。

 

【末本】
中学生年代に、日本を飛び出して異国で違う国の人たちと今まで自分達が体感したことがないFOOTBALLに触れる、記憶に残ってくれてよかったよ!

 

【山中】

<第1位>
1位は、関東大会でヴァンフォーレ甲府に0-5で負けた事です。

もちろん難しい試合になる事は分かっていましたが、これほどにも通用しないのかと思い、打ちひしがれたので思い出に残っています。

パスのスピード/トラップの位置/攻撃の崩し方/守備の寄せ具合 など全てのレベルが相手は何枚も上手でした。この大会はクラブユースだったので、関東大会に来たからって浮かれないで高円宮杯に向けて再度気を引き締めないといけないとも感じましたね。

大豆戸にとっても初めての関東大会、全ての面で違っていて、ショックを受けたことは間違いないね、この大会にたどり着いたことにすでに満足していた、ということもあるけれど、この大会を通じてクラブとして次のステージに行くことができた、本当にこのメンバーたちに感謝してます。

僕が卒業した後の大豆戸FCは、神奈川県大会で優勝、関東大会でも優勝したりしているのを見ると、J下部組織並みのレベルでプレーしていて本当にすごいと思います。後輩達の活躍を聞くのはとても嬉しいものですね。これからの活躍も楽しみにしています。

 

【末本】
この代のこれがあったからだよ、クラブにとっての始まり。後輩たちの活躍をこれからも見守ってくれると嬉しいよ。

 

【山中】

対応力というか、相手がやってくるサッカーに対して自分達はどうするのか?相手のプレースタイルに流されるのか、自分達のスタイルでやりたいけどいつものようにプレーしたら上手くいかないからどうするのか?逆に相手チームには出来ない自分達の強みは何か?といったような事を考えさせられたような記憶があります。

 

【末本】
次は、大豆戸FCでサッカーをした事でいまに繋がっていると感じている事があれば教えてください。

 

【山中】

いま自分がやっている仕事をサッカーのシチュエーションに置き換えて、サッカーならこんなプレーをするから仕事もそうやってみよう、とイメージできる事です。

 

【末本】
なるほど〜笑、駿らしいといえば駿らしいが、具体的に教えてくれるかな?

 

【山中】

自分は機械メーカーに勤務していて、マーケティング業務を行っています。
例えば、製品をPRする/売りに行くとなった場合、サッカーで言えばドリブルで仕掛ける/シュートを打ちに行くといったシチュエーションに置き換えられると思っていて、そのシチュエーションなら消極的なプレーは求められていないと思います。
ドリブルで相手に取られても良いから仕掛ける/シュートがゴール枠を外れても良いから打つ といったように、とにかく積極的なプレーが必要だと思います。

 

【末本】
FOOTBALLはまさに状況のスポーツ、状況や役割を客観的に理解して、それに応じたプレーをする、ということだね。

 

【山中】

話を仕事に戻すと、同様に製品をPRする/売りに行くのであれば積極的にお客さんに話しかけに行くなどしないと次に繋がらないから話しかけに行こう、といったように仕事の状況をサッカーに置き換えてイメージ出来る事が今に繋がっているのかなと思います。

 

【末本】
今何が求められていて、どんなことが必要とされるのか。それを理解して動ける人間が現場にいたら上司からしてみたら非常に助かるのではないかな。
FOOTBALLをやる中で自然と身についたものは今にも役立っているんだね。

では最後に今生活している中で、やりがいを感じている事について教えてください。

 

【山中】

世界中の人達と仕事出来ている事ですかね。
生活を便利にしてもらいたくて自社製品を世の中に提供していますが、その規模が日本だけでなく世界を相手にしているところにやりがいを感じています。
今はオランダに駐在してヨーロッパでの販売に努めていますが、ヨーロッパに来る前は台湾や韓国を担当しており、大豆戸FCでの韓国遠征でも行った仁川(インチョン)に頻繁に出張してました。

 

【末本】

仁川!!懐かしいね〜!
生活を便利にしてもらいたくて自社製品を世の中に提供している、国内だけではなく世界を相手にというところが非常に頼もしい!
大豆戸F Cも関わる人たちが毎週末に サッカーを通して出会うはずのない感動、未来、人、非日常空間を提供することがミッション。
舞台は違うけれど、お互いこれからも頑張っていこう!

 

 

〜取材後記〜

JY2期生の駿、当時の選手数は7人だったJ Yに入ってきた中盤の星、全てのプレーに手を抜くことなく無尽蔵に走る、簡単にボールを失うことはほとんどなく、状況判断が適切な選手でした。
彼の生き方やスタンスはあの頃と変わらないことが想像できる。
表面的な技術にどうしても目が行きがちだが、それを生み出している内面こそが重要であるし、内面の成長こそがFOOTBALLを通じて、磨かれるものではないだろうか。
遠い異国で大豆戸の遺伝子を確かに通わせながら、FOOTBALLと共に生活している彼の話を聞いて、勇気が湧きました。
これからも我々は種を蒔いていこうと思う