第17回 OBたちの現在 ~成山信太郎さん
OB達の現在を追うこの企画、第17回は成山信太郎さんの登場です。
今回は、大豆戸FCジュニアユースの1期生である、成山信太郎さんの登場です。
大豆戸JY1期生という、まだ何もないところに飛び込み、ここで成長していった彼の大豆戸生活とその後を追います。
【末本】
「年齢はいくつになるんだっけ?」
【信太郎】
33歳(JYに入団したのは、もう20年前になります。
現在の職業 は加賀FEI(株)財務経理部に勤めおり、これまでの経歴は、
三保小学校(三保小SC)→十日市場中学校(大豆戸FCJY)→法政大学第二高校(サッカー部1年だけ)→下関市立大学→日本大学法学部(夜間)/会計事務所勤務(日中)→(株)三栄建築設計(現:(株)メルディア)→現職です。
【末本】
「どうして大豆戸FCを選んだのか教えてもらえるかな?」
【信太郎】
当時の私の環境では、中学校の部活でサッカー部に入部するか、比較的最寄りの街クラブに入団するか、その2択でした。
どちらも嫌だった私は、どこからか大豆戸FCの噂を聞きつけ、地元の不文律をよそに、練習体験へ。
初めて経験する練習メニューやコーチ達の指導で、とても楽しく心惹かれ、入団を決めたのを覚えています。
【末本】
「これは恒例なんだけど、大豆戸FCでの思い出 BEST3を教えてください。」
【信太郎】
<1位>
高円宮杯予選の東急レイエスとの試合です。場所は津久井又野公園でした。
勝てば目標の関東大会出場だった我々の前に立ちはだかったのは、街クラブの雄レイエスでした。
やはり強豪で要所をしっかりと押さえられ0-2で敗戦。内容面は、それなりに戦えていて互角にやれていたように記憶をしていますが、相手の方が試合巧者で上手でした。
【末本】
「1期生で関東大会!を目指したが、さすがに強かったよね。」
【信太郎】
これをもって1期生の活動が幕を閉じました。
担当以外のコーチの方々も多く足を運んでくれており、最後は皆んな涙涙でミーティングをしたかと思います。
津久井又野公園Gで始まり、津久井又野公園Gで終わるという何か運命的なものを感じましたし、引退が決まった試合でもあるので、特に印象に残っています。
<第2位>は韓国遠征です。
当時海外遠征をするなんて、全く頭になかったですが、コーチ達の熱い想いから実現した遠征でした。
当時は竹島の領土問題で日韓関係はとても冷え込んでおり、また受験生の夏休みということもあり、親達は猛反対(我々の代は長男が多かった)。
そんな猛反対を、コーチ達がしんよこFP駐車場での青空会議で跳ね除けて、実現してくれました。
【末本】
「良く覚えているね笑、あの時は本当に大変で最初はほとんどの家庭が反対で、唯一味方をしてくれて、どうプレゼンした方が良いかをアドバイスくれたのは信太郎のお父さんでした。」
【信太郎】
遠征に行く前は、日韓関係の状況から、罵倒されたりするのではと不安もありましたが、いざ交流してみると全くそんなことはなく、報道から受ける印象と全く違うじゃん!と思ったことが強く印象に残っています。これはあのタイミングで行ったからこそ経験できたもので、今にも活きる貴重な経験でした。
【末本】
「実際行くこと、体験することがやはり1番の価値になるんだよね。人はやはり体験しないとわからない。これは大豆戸が一番大切にしていることなんだよ」
【信太郎】
肝心のサッカーの方は、フィジカルに優れたサッカーをする相手に気持ちいいほどにボコボコにされました笑
<第3位>は、連盟本加盟に向けた試合、パルピターレとの試合で会場は津久井又野公園Gでした。
JYが立ち上がった初年度は、準加盟で公式戦には出場できませんでした。これは2年目からの本加盟に向けて設けられた試合です。
形式的な試合のようでしたが、11人に満たない我々は、助っ人たちを集めて、無事体裁を整えて臨みました。
とても遠い会場で、しかもナイターで、負けて本加盟できなかったらどうしようなど様々な感情が巡ったのが今はいい思い出です。
【末本】
「その時の写真があるけれど、本当ギリギリでやったし、あの時は登録制度があったからコーチたちもヒリヒリしてあの場に行ったのを覚えています。登録の連絡をもらった時の喜びは今でも鮮明に覚えてます。」
【信太郎】
ランク外の思い出もあって、中学2年の時に、高円宮杯予選で、遠藤航選手(南戸塚中)と試合をしたことも良い思い出です。
末本コーチに、彼はベルマーレユースに行くみたいだぞ!と試合前に発破をかけられたのを覚えています。
遠藤選手とマッチアップしていて、1点獲ったことは、今でもたまーに自慢しています。
【末本】
「中体連だったけれど、良いチームだったし、遠藤航とGKの選手は明らかに良い選手だったからね笑」
「当時の自分自身のことについて教えてもらえるかな?」
【信太郎】
当時の私は、比較的背が高く、足も速かったので、それに依存して何とかしていたタイプの選手かなと思います。
止めて蹴るの技術がもっとあれば、JY1期生の歴史はまた違ったかもしれません笑
【末本】
「それは、いわゆる早熟系の選手たちには響くメッセージだね!」
「大豆戸FCでの活動を通して、今につながっていると感じることってあるかな?」
【信太郎】
「自立すること」を特に求められたと思いますし、早い時期からそのような姿勢で何かに打ち込めた経験は今にも通じていると思います。
振り返ってみると、コーチ達からあれやれこれやれと言われた記憶があまりないです。
むしろ自分で考えて、それをコーチにぶつけて、アドバイスをもらう、そんな関係性でした。
そこから、チーム内で期待される役割、自分が実現したい役割について擦り合わせていくような指導を受けました。
社会人になり、組織に属する中で、評価する/される立場にある現在、大豆戸での経験は本質的だったなと感じています。
何よりもコーチたちは、中学生相手でもひとりの人間としてリスペクトを持って接してくれました。
親でもない、先生でもない大人達と本気になってひとつの目標に向かっていく経験は、当時の私にはとても良い経験でした。
【末本】
「コーチは当時、29歳具ぐらいだったけど、ちゃんと接することができていて良かったよ笑」
「サッカー同様、うまくいくことばかりではないのが人生、そのの転機になったこととかってあるかな?」
【信太郎】
大学受験浪人に4年も費やし暗黒期を過ごしたことは大きな挫折でしたし、ターニングポイントでしたね笑
付属大学に内部進学をしないと決めてからは、必要以上に遠回りをしましたけど、振り返れば自分には必要な時間だったかなと思います。
受験勉強をしていたのか、哲学をしていたのか、よく覚えていませんが、しばらくはこのことが当然にコンプレックスでしたが、今や話のネタになってラッキーくらいに思ってます。
【末本】
「コーチも1年の浪人と1年の充電生活を過ごしたけれど、あの期間は貴重な時間だったと思うよ。あの時代の遠回りや充電期間は長い人生で考えるとどうってことないし、むしろ財産になる」
「今、大切にしていること 仕事や人生で大事にしている価値観を教えてください。」
【信太郎】
「人間万事塞翁が馬」という中国の故事成語は、人生におけるひとつの価値基準になっています。(人生における幸、不幸は予測ができないため、目先の出来事にあまり一喜一憂するなという意味。)
この言葉がスッと自分の中に入ってきてからは、特に失敗などのネガティブな出来事の受け止めは気楽にできるようになりました。
失敗や挫折は必ず起きるし、それで立ち止まっていたら、どんどんその負が連鎖していくだけです。
振り返ってみたら、そんなこともあったねと、そう思えるように、その後の人生を動かしていけば良いわけであって、その失敗でクヨクヨして、チャレンジしなくなってしまったり、人生を停滞させてしまうのは、とてももったいないことかなと思うようになりました。
失敗も話のネタにできるし、そういう活用ができるような人間になれればいいなと思います。
【末本】
「まさにフットボールだね!」
「では最後に現役の大豆戸FCの選手たちへのメッセージをお願いします。」
【信太郎】
大豆戸FCでの活動は、保護者からのとてつもない応援があって成り立っています(君も親になれば分かる)。
当たり前の環境と思わず、感謝の気持ちを持ち、それをちゃんと表現し、その上で、大豆戸FCの活動に全力で取り組んでほしいと思います。
月並みですが、無駄な経験などありません。
この先の人生で大豆戸FCでの経験が、必ず助けになる瞬間がやってくると思います。
かけがえのないこの時間をぜひ楽しんでください!先輩の端くれとして、みなさんからの良いニュースを楽しみにしています!
〜取材後記〜
0から何かを作り出すことは、楽しみもあるけれど、まず困難を想像してしまう。
2007年、ジュニアユースを設立した時に入会してくれたのは、内部生4人、外部生5人。そのうちの一人が信太郎くんでした。
まだ実績もない。
先輩もいない。
本当に続くのかも分からない。
そんな環境に、地元の不文律を破ってまで飛び込んできてくれた。
今の大豆戸ジュニアユースがあるのは、間違いなく彼ら1期生の勇気があったからです。
信太郎くんは当時から真面目で、誰よりも考える選手でした。
練習後にはよく大人顔負けの会話をして、時には哲学のような問答になることもありました。
あれから20年。
遠回りをしたことも、挫折したことも、全部自分の人生の糧にして、穏やかに笑って話せる大人になっていました。
彼が話してくれた「人間万事塞翁が馬」という言葉。
きっとそれは、大豆戸で過ごした日々そのものなのだと思います。
あの時は悔しかったことも、
うまくいかなかったことも、
20年後には笑って語れる思い出になる。
だから今の選手たちも、失敗を恐れず、自分の道を歩んでほしい。
1期生の背中は、
今も大豆戸の歴史の先頭を走っています。







